アル・ハヤート紙(2003年5月28日)

イラク考古庁長官:

「略奪の規模を小さく見せようとする作為的なキャンペーン」


イラク考古庁長官のジャービル・ハリールによれば、イラクの遺跡が蒙った略奪の被害は数千点の遺物に及ぶが、それにも拘わらずそれを作為的に小さいものにしようとする「キャンペーン」があると言う。

アンマンで開催される歴史遺産を救出するための会議に出席するために同地を訪れているハリールは「イラクの遺跡が蒙った被害の規模を意図的に小さいものにしようとするキャンペーンがある」として、フランス通信に対して次ぎのように述べた。
「貴重な38点の遺物がバグダッドの博物館のホールから盗まれた。しかし、博物館の収蔵庫から盗まれた物はそれをはるかに凌ぐ数で数千点にに上る。(…)それらの中にはブロンズの像などが含まれる」。

今月に入ってユネスコの松浦晃一郎事務局長はバグダッドの国立博物館から盗まれた遺物は数千点ではないと宣言した。しかし、イラク考古庁長官は言う。
「ある筋からはその1ヶ所からだけで450点の盗まれた遺物が返還されてきた。それなのに、どうして盗まれた点数が数百点と言うことがあるのだろうか」。

この返還に至った事情については長官によれば、ある報道機関が博物館事務局に盗まれた遺物について連絡してきて、彼らのもとにはそれらの遺物のビデオ写真があると言うことだった。それで、「われわれは関係する筋に連絡と取り、これと言った困難もなく取り戻すことができた」。

アメリカ軍がバグダッドに入った4月9日の朝までもう1人のスタッフと共に博物館内に最後まで留まっていたハリールによれば、「戦争の間、われわれは博物館の建物の補強に努めました」。
米英軍が首都に入って来た後、ハリールは海兵隊の責任者のところに急行したと言う。すると、「彼は博物館から一番近いところにいる兵力を警備のために送ると約束してくれました。しかし、実際に兵力が到着したのはその4日後のことだった」。

また、ハリール長官によれば、遺物に関するリストはいまも存在しており、「ある安全な場所」で難を遁れルことができたと言う。だが、「いかなる国際的なチームもイラク各地の遺跡で盗みに遭った遺物の点数を正確に特定することはできない。統計的な数字をはじき出すことは困難な作業であり、そのためには大掛かりなチームが求められるはずである」。

国立博物館のスタッフからなるチームが現在、盗まれた遺物のリストの作成に努力を傾注しています。しかし、作業は必要な機器がないこと、治安が確立されていないことなどのために、遅々として進んでいません。
ハリールが語るところでは、「作業はその規模からして数ヶ月を要する。われわれは必要最低限の機器も、テーブルさえもない中で、またスタッフが給料さえも受け取れない中で作業を続けている」。

更に、ハリールは次ぎのようなことも話した。
「私は各地の宗教指導者に連絡をとっており、彼らはモスクの拡声器をもって住民に盗んだ物を返すように呼び掛けてくれた。お蔭で、ほんの一部ではあるが、盗まれた物が戻ってきている」。
アメリカ軍のこの点での役割は国立博物館の警備だけに限定されています。しかし、ハリールはアメリカ軍が博物館のスタッフ1人辺り20ドルの援助を差し出してくれたことも付言しました。

次ぎに、イラク第2の規模を持つモスールの博物館について言えば、なお盗まれた遺物についての正確な数字の集計は始められたばかりです。
アンマンの会議は教育科学文化イスラム機構とヨルダン考古庁によって共催され、ヨルダンを始めとしてエジプト、イラク、シリア、レバノンの専門家が参加することになっています。