略奪にあったイラク国立博物館

バビロンの会会長 大沼克彦
(国士舘大学イラク古代文化研究所教授) 

本年の5月13日、TBS「報道特集」班のイラク国立博物館の取材に同行して、私はバグダッドを訪問した。ヨルダン国のアンマン市を早朝に出発し、陸路バグダッドに到着したのは午後の3時頃、初夏とも言える5月半ばのイラクは久しぶりだったので、暑かった。

バグダッドに入り、大統領宮殿、情報省(写真1)、国防省、サダム・フセインの長男オダイが大臣をしていたスポーツ省(写真2)、電話局(写真3)など、サダム体制関連建造物(実際は、ほとんどすべての役所の建物である)でのすさまじい爆撃と略奪の痕を見た。市の中心部もまた爆撃と略奪を被って、閑散とした表情を見せていた(写真4写真5)。

その一方で、石油省は無傷である。破壊の痕跡はいっさい見られなかった(写真6)。ここにはイラクの石油埋蔵量の詳細や、石油開発計画に関する膨大な量の書類が保管されていたので、米軍は厳重に警護したのである。イラク石油に対する米国の並々ならぬ野心を感ぜずにはいられなかった。

市内のホテルで、停電が多いので従業員に尋ねると、発電所も爆撃を受け、一日の20時間程が停電で、2時間づつ2回の送電だけという答えが返ってきた。自家発電機を備えたホテルはともかく、一般の民家ではエアコンが作動せず、夜も寝られず大変である。水の安全管理と供給量も極めて不十分とのことである。戦後復興へ向けた国家間の駆け引きはどうでも良い。一般民衆の生活に直結するインフラの復旧が緊急に求められている。今回の戦争を支持した日本政府には、一刻も早い、100% 非戦闘的な人道支援にのりだす責任がある。

14日に考古遺産庁長官ジャーベル・イブラヒム氏らと再会し、彼ら全員の無事を確認した(写真7)。考古遺産庁は今、完全に米軍の管理下にある(写真8)。同庁研究職員の部屋の内部はことごとく荒らされていた(写真9)。窓とドアを壊して侵入した暴徒が、机、椅子、コンピューターなど、売れるものはいっさいがっさい、持ち去っていた。略奪には一般市民のほか、売買目的の組織がかかわっていたとのことである。

15日に、長官らの案内で博物館展示室を実見した。アッシリア室に巨大な石碑がそのまま残っていた以外は、すべての部屋がもぬけの空だった(写真10)。略奪を危惧した考古遺産庁が予め、展示物を避難させていたのである。避難させ得なかった展示物と、収蔵倉に保管していた遺産のうちの4〜5千点が略奪と破壊を被ったとのことである。

略奪品の中には、「シュメール女性の面」、「ウルクの奉納壺」、黒人を襲う雌ライオンを描いた象牙品など、古さと美術的価値から世界的に知られる35点が含まれていた(但し、「ウルクの奉納壺」は6月12日に戻ってきた)。シュメール時代の黄金製ヘルメットなど、黄金遺宝は数年前から中央銀行の堅固な地下室に移管されていて、略奪を免れたということである。楔形文字粘土版文書と、先史時代の石器や土器などもまた、略奪を免れたとのことである。

喜ばしいことに、宗教指導者の呼びかけにより、略奪された遺産が少しずつ返還されている(写真11写真12)。長官は、「略奪品が日本に流れても決して買わないで欲しい。返還に協力してほしい」と訴えた。

8日間の滞在を無事終了し、21日の早朝にバグダッドを発ち、陸路で夕方、アンマンに到着した。

(イラク国立博物館から略奪された遺産の写真つき詳細が http://www.theartnewspaper.com/iraqmus/index.html でみられます)