汎アラブ週刊誌「アル・ワサト」(2003年5月5日号)

失われたワルカの壷を嘆く

イラク考古学専門家ドゥニー・ジョルジュ

大英博物館は最近、「イラクの博物館への国際的な支援」という名の下にでユネスコと協力してロンドンで会議を開催しました。そこには世界中から考古学の専門家が参加しました。なかでも、イラクからはバクダッドの国立博物館に付属するイラク遺跡・遺産庁の研究部長ドゥニー ジョルジュ氏が参加しました。彼は博物館の責任者の中でイラク国外の催し物に参加し、博物館で実際に目撃された略奪や破壊を証言した最初の人物です。
以下、「アル・ワサト」のインタビューでのドゥニー・ジョルジュ氏の発言です。



イラク博物館から盗まれた物の中でもっとも重要な物、高価な物は何ですか。

---盗難にあったものの1つは実際、極めて稀な遺物(出土品)でした。値を付けられるようなものではありません。考古学の専門家としての私の個人的な意見を言えば、それは金で買えるようなものではないと言うことです。それはワルカの壷です。円筒形をしていて、紀元前3200―3700年前の礼拝所の跡で発見されたものです。壷にはイデオロギー的な意味があります。まず、一番下の部分には水が、続いて植物、人間、預言者、そして最後にはニンフと言った具合に地上の存在が象徴的に描かれています。

イラク博物館で起きたことはあなたの考えでは誰に責任があると思われますか。

---博物館が略奪に遭っている時に、そこには博物館を警備する武装イラク人は1人もいませんでした。アメリカの戦車が数台止まっていました。しかし、それらの戦車は博物館を守ろうとはしませんでした。アメリカ兵たちの見ていることろで盗人たちは博物館の中に入り、3日間、すなわち木曜、金曜の終日と土曜の一部に掛けて狼藉の限りを働いたのでした。アメリカの兵士たちは何もしませんでした。彼らは博物館から約50メートルの距離のところにいただけでした。

戦争前に博物館側で隠したり、博物館から別の場所に移しておいた貴重品や文書類は無事でしたか。

---勿論、無事でした。博物館の内部に保管されています。そこには職員もいます。現在はわれわれがアメリカ側と連絡を取り、アメリカの戦車が博物館を24時間守っています。

他のイラク内の博物館とは連絡が取れていますか。

---それが本当に問題です。連絡が取れていないのです。われわれの車は全て盗難に遭いました。われわれはモスールの博物館が銃撃を受けたと聞いています。盗難にも遭ったようです。しかし、いまのままでのところ十分な情報を入手できていません。われわれはアメリカ側と調整して、モスールの博物館に調査に行きたいと思っています。

近隣の国と連絡を取り合って、盗品のチェックをするのですか。

---いま現在はイラクには国境は存在しませんし、検問所もない状態です。従がって、イラクの各派には武装部隊があるはずですから、差し当たり彼らがはイラクの国境をコントロールしなくてはならないと思います。いま現在、イラクには中央政府が存在していません。ですから、1人1人が自分のイラクを守らなくてはなりません。イラクはイラク人のために存在し続けます。

イラク国外で現在発見されている盗まれた遺物について誰が責任を持っていますか。

---われわれは大英博物館ならびにユネスコとの間で、全ての国がこれらの遺物を集め、それを責任ある機関が保管し、その上で公的なチャンネルを通してイラクに返されると言う方向で調整を行ないました。

博物館に遺物を返す人が出て来ていると言うことですか。

---毎日のようにそれは見られます。最初、われわれはモスクのような宗教施設と協調しました。、われわれはまずモスクの長老のところに赴いたのです。長老は人々に盗んだ物を返すよう呼び掛けました。長老たちは盗みが許されざる行為だと言うこと、遺物はわれわれの国の遺物であり、遺産であることを強調してくれました。そのために、人々は遺物を博物館に返し始めました。連合軍(米英軍)の放送も博物館はイラクのものであり、そこから遺物を持ち出した者は返さなければならない。返した者は裁判に掛けられることはない、と放送しました。